初の「断食」体験談!
僕が初めて断食をしたのは、
19年前。
場所は、国会議事堂の裏手でした。
といってもアメリカ合衆国の国会議事堂。
水だけで3日間。
10数人で一斉にしてました。
どうしてしてたかというと、
というよりなぜアメリカのそんな場所で出来るのかですよね?
自分の意志で参加した事ではありましたが、peace walk の到着地点が国会議事堂だったからなのです。
19年前って何があったか覚えておられますか?
それは、1992年。
アメリカでは「 大陸発見500年祭 」があった年なんですね。
これはめでたいっとなる訳ですが、そこはそう反対の立場から見れば、侵略の500年となるのですね。
アメリカンインディアン(本当はネイティブアメリカンと呼ぶ)の人の中で、やっぱり自分たちの伝統が白人の侵略で破壊されたと考える人たちがたくさんいます。
さらに、彼らが抗議しているのは、
伝統文化に対する破壊もそうなんですが、教育の機会が得られないせいもあり、とても貧しくアメリカ社会の中で貧困層とならざるを得ないことについてなのです。
そういうアメリカ政府に対しての抗議活動に、なぜか僕も参加していたのでした。
自分とネイティブアメリカンのつながりは
何もない (・・。)ゞ のです。
その2年程前に初めて海外旅行でアメリカへ行ったぐらいの僕が、
人に勧められて、訳もわからず途中から参加した peace walk が、
僕が参加する前にはサンフランシスコを1年前にスタートしたと聞いて
びっくりしたのでした。
僕自身は、オハイオ州から参加して・・・
オハイオ州からワシントンDCまで 40日かけて、歩き続けたのでした。
peace walk 日本語訳では「 平和行進 」。
歩いたり走ったりで一日 30-40キロ程 移動するのです。
旗もって、横断幕もって、町と町をつなぐ道路をひたすらワシントンまで歩きます。
夜は教会や幼稚園や人の家に寝泊まりさせて頂きました。
毎日寝袋で、床に寝ます。今でも硬い床が気持ちよく思います。
しっかりとオーガナイズされていて、到着した場所で簡単な食事が用意されていて、毎日その町のどこかで行進の代表者が代わる代わる、この行進についての講演をしていたようで、アメリカのちょっといい人たちがたくさん支援をしてくれていました。
アメリカの人って親切だし、心の豊かな人が多いなあという印象でした。
きっと平和行進に興味をもつ人たちが親切な人なんでしょうけど。
そういうわけで、なぜか国会議事堂の敷地内で
抗議活動をする事を許可されて、ハンガーストライキもどきの断食をしたというお話でした。
これまで40日間、炎天下の中歩き続けて体力もついていたので、
断食をはじめてもいっこうに苦しく無く、水もそんなに飲まなくて大丈夫でした。
今考えれば、そうとう体を鍛えた事により
陰陽で言う 「 陽性 」 の体になっていたのでしょう。
元気に3日間普通に過ごしたのです。
さて、抗議活動の終わりになりました。
4日目に朝からブレックファーストです。
英語では breakfast と綴ります。
breakfast の意味はご存知ですか?
break=破る
fast=断食
だそうです。僕はその時初めて聞いたので驚いた記憶があります。
breakfast の方法は
白湯を大量に飲む事から始まりました。
もうそれは大量で、お腹の中の全てを洗い流す感じなのです。
口から入れた水は胃、腸を通って行きますが、普通は血管に入り腎臓で濾過され尿としてでます。
ただ、このときは 3日 なにも口にしていなかったので、お小水もでますが
最初の2リットルの白湯を飲んだあたりから、便意を催します。
最初はくさい便がでて・・・
あー恥ずかし ( ̄ー ̄;
ですが、ここは 「 健康 」に興味がある方が訪ねてくれる場所なので・・・。
最初は普通のうんち
次はにょろにょろうんち
続いて 水下痢うんち
さらにってとこで、硬いがちがちの3センチぐらいの宿便と思われる真っ黒いものが数個出てまいりました。
その前の段階の方が臭かったので 「 宿便=超臭い 」とは、ならなかったです。
便のあいだに多量の白湯を飲んだのは言うまでもないです。
2時間かけて、多分計8リットルぐらい飲んだのではないでしょうか。
最後は水を飲んで30秒後にトイレに直行。座ってだしても「 水 」しかでない状態になりました。
きれいな腸管のできあがり!
それから、すこしづつ生野菜をぼりぼりよく噛んで食べ始め、次の昼食で重湯を食べてという終了手順でした。
この妊活コラムの執筆者
関村 順一SEKIMURA JUNICHI
院長 鍼・灸・あマ指師